乙川祭礼 殿海道山

乙川祭礼の歴史
history

《歴史》

>江戸時代 加藤清正(1562年~1611年)が名古屋城築城の際に、乙川から築石と荷車を献上したことから、 乙川祭りが行われるようになったと言われています。

宝暦五年(1755年)に作成された「祭礼山車絵図」には、獅子舞、神輿、神主、庄屋、組頭と続く行列の後に 四台の山車が描かれています。

《由来》

神輿に乗った神様が、乙川八幡社から若宮社に渡御し、 翌日還御されるのが乙川祭りです。 その時神様をお護り(警固)するために打ち囃子がだされ、四台の山車が曳きだされます。

「殿海道山 源氏車」

建造は嘉永五年(1852年)、大正10年と昭和24年に 大改造を得て現在に至る。 代表的な彫刻は、諏訪の彫師三代目立川和四郎富重が 嘉永年間に彫ったとされる壇箱「樊噲(はんかい)の門破り」、 脇障子「風神雷神」、前山蟇股「花和尚、弁慶」が代表作と されている。 脇障子が二組あるのは道行用と神社奉納用と取りかえる ためでもある。 水引は白地に松鷹の刺繍、大幕は緋羅紗地の重厚なものである